アメリカ研究子育てマンの観察日記

アメリカで研究と子育てに奔走する男の観察日記。独自の視点でアメリカを見つめ、日本を見つめ直す

バブル!?全米で建設ラッシュの異常な光景が広がっている気がする

4月にオレゴン州ポートランドに遊びに行きました。日本に住んでいた時に「エコで、お洒落で、コーヒーが美味しい街」と、雑誌で読んだので一度行ってみたいと思っていました。しかし、行ってみると、、、なんだこのホームレスの数は、、、幻想に向かって話すゾンビ化した人々、ゴミをあさって食べ物を探す人々、しまいには意味がわからなかったのですが、街路樹の土に寝そべりひたすら手で土を掘る人、、、世紀末だと思いました、、、中西部から来た自分としてはショックが大きかったです。

 

そして、それと対照的に高層マンション(「コンドー」とアメリカ人は呼ぶ)がどんどん建ってました。そして土地の値段がどんどんつり上がってます。とても住みたいとは思えませんでした。

 

ポートランドの魅力の魅力のひとつと言ったら何と言っても食です。フードトラックが立ち並んで好きなものを食べられる楽しみがあるのですが、それらを追い出してまでビルを建てたりしてる、なんて話も聞きました。一体これからどういう街にしたいのか、、、憤りました。

 

そして、やっぱりミネソタいいよねと思ったのですが、、、おや、、、ミネソタもめっちゃコンドー建ってきてない?って帰ってから気づきました。しょうもないショッピングモールまで建て替えていたりして、、、採算取れるのかなと心配になります。どうやら西海岸に限らず、全米で異常な建設ラッシュが起きているようです。

 

トランプ減税の効果、郊外に住んでいた人の都会回帰、IT企業社員の高収入など言われていたりしますが、直感的にはバブルです。実体経済に支えられているのだろうか疑問です。

 

リーマンショックは住宅投資バブルだった訳ですが、今住宅価格はリーマンショック前を超え史上最高値に到達しました(インフレ率を考慮すると最高ではないが、いずれにせよ高い)。特にシアトルはアマゾンやマイクロソフトを抱えるシアトルは伸びが著しいです。今は減税効果で雇用がいいですが、成長が鈍化するとクビ切りが始まって、家を購入できる人が減ってしまいます。そうなると、住宅投資は期待された利潤を生むことができなくなり、崩壊に向かってしまうのではないか、と個人的に思っています。


What Will Cause The Next Recession - Robert Shiller On Human Behavior

 

そういうことを考慮するとトランプ政権が引き起こしている貿易戦争は成長の足かせとなり、明らかなリスクです。2020年は成長要因が何もないので、このタイミングでバブル崩壊だろうと予想するエコノミストが多くいるようです。

https://www.youtube.com/watch?v=HJuizgDmvzU&t=7s


What Will Cause The Next Recession - Mark Zandi Says Corporate Debt

 

さて、来年はどんな年になることでしょう。

 

 

プラトン Meno (メノン)から探る詰め込み式集団主義教育からの脱却

前回、お固くプラントの『メノン』という作品について書きました。そこでは登場人物であるソクラテスとメノンが、美徳とは何か?を大真面目に語り合う訳ですが、ソクラテスがいわゆる「想起説」というものを提唱します。つまり、「魂は不滅で、何度も肉体を入れ替えて蘇っている。よって経験値マックスであるので、何が美しいか、何が徳かを知っているのだ。ただ我々は何が美徳かを今の肉体に入った時にうっかり忘れてしまっているのだ。何が美徳かを知るためには、魂に問いかけて思い出すことが必要なのだ。」といった考えです。日本人と同じように古代ギリシア人も輪廻転生を信じていたことに驚きましたが、しかし、知識に対する考え方に関しては日本人と全く逆のように思います。古代ギリシアは良いものを生み出すために必要な知識は、高潔な魂に宿るものと考えていたのに対して、日本人は勉強しなかったら基本人間の頭は空っぽで、知識は外から吸収しなければならないと考えています。

 

アメリカ在住の僕は、アメリカ人の学生に実験を教えることがあるのですが、とにかく一般の学生はとにかく勉強ができない、特に単純な計算がかなり苦手です。「3%の溶液を300 mL作るには、試薬は何gいるかな?」と聞くと、学生は、、、固まってしまう、もしくはとんでも回答「450 g!!!」、、、いやいや、、、溶液の量超えてしまっているじゃないか、、、なんてことがざらです。平均値でいったら日本人の方が勉強できるなと思います。でも、どうしてアメリカが日本よりプロダクティブで成長を続けているのでしょうか?今でも若干不思議です。

 

アメリカ人と接していると日本人に比べて、どうすれば自分はウキウキできるのか、幸せになれるのかを考え、実行する力が長けているように思います。仕事は合わなかったら転職して好きなことをします。キャリアアップして給料が高いオファーが見つかれば、また転職します。一生同じ会社で終わる人はかなり少ないのではないでしょうか。彼らは暗算が多少できなくても、ソクラテスが言った自分の内面に問いかける習慣を普段から持ち合わせているようです。だからクリエイティブなアイデアが生まれやすいし、古いやり方にとらわれないでいられるような感じがします。美しく徳があり、人が思わず手に取りたくなるようなものが生まれやすい環境なのです。一方、日本人は勉強ができても、どうすればウキウキできるか、心に問うことが苦手なように見えます。精度は高いが、仕事がマンネリ、ルーティーン化して楽しくなくなっている人がどれだけ多いことか、、、これでは新しいものは生まれません。詰め込み、集団行動を押し付ける教育から脱却して、知識をベースにして何かクリエイトする能力を育てることが今後AIが到来する社会では必要なはずです。そのためには、個々が自らの心と対話する時間を認めること、すなわち個々は異なるため、結果として多様性を認めることが重要になってくるのではないでしょうか。こんな日本を次の世代に残したいと思うばかりです。

プラトン Meno (メノン)

プラントが記したソクラテスの対話篇のひとつ。バーチュー(美徳)とは何かについて考えた作品。以降、自分なりの解釈を書くが、英語で読んだこともあり、誤りや意見があれば是非とも指摘して欲しい。

 

メノンという男性が「バーチューとは教授できるものなのか、経験で学ばなければならないのか、はたまたどちらでもないのか」という問いから初まる。以降、二人でバーチューの定義を模索する。

 

メノン自身はバーチューは人それぞれ、例えば男や女で異なるものだと言う。それに対して、ソクラテスはバーチューとは唯一のものであると考えた。良い行いや良い人間は、温和や正義を兼ね備えている点で共通している。故に、バーチューとは正義や温和などの良き心を伴いながら良きものを目指すことであるとであると主張した。二人はバーチューはひとつであることに同意する。しかし、正義や温和などの良い気持ちもバーチューに含まれるため、バーチューを求める手段そのものがバーチューであるというパラドックスに陥るが、この問題には明確答えず、さらにバーチューとは何かを探索する。

 

ソクラテスは司祭や詩人から耳にした魂の話を始める。人間の魂は不滅のものであり、何度も肉体を変えながら生まれ変わっているものである。故に魂はありとあらゆるもの経験しており、何がバーチューであるのか知っている(知識)のである。故に、知識=バーチューであると考えられるが、私たちの魂は肉体に入ったときから、その知識を想い出せないでいるのだ。そのため、知識を得るためには、常に自分の魂に問いかけて探求しなければならない。これに対してメノンは、すべての知識が魂の回想なのかと疑問を呈すが、教育を受けたことがない奴隷が図形の大きさを的確に答える姿を見て納得する。

 

次に本当に知識がバーチューなのであるのか、について議論を深める。ソクラテスはアニタスという男性を捕まえて意見を求めるが、彼は哲学者も知識もくだらないものだ、自分は何が良いことか知っている、といったことを述べる。しかし、ソクラテスは様々な立派な人物の名を挙げ、彼らは教育者なしで立派になりえたであろうかと問い、アニタスを論破する。

 

ここで、知識が美徳であるという結論に達したかに思われたが、バーチューの要素である正義、温和、優しさなどは知識でないく、バーチューを教えることができる人間は存在しない。故にバーチューは知識ではないのではないか、と議論が降り出しも戻りかける。

 

しかし、良い導き手となる人間の特徴を議論している間に、正しい「意見」は人を導く力があるのではないか、それが知識と同じようにバーチューの本質なのではないとという話になる。

 

次に、正しい知識と意見の比較を行う。知識は縛り付けることができる(不変な)ものであるが、意見はどこかに逃げ出してしまう(移り変わりの激しい)ものであるため、知識のようがより高潔なものであるという意見で同意する。

 

バーチューは神から高潔な人間に与えられるものであるが、我々は常にそれを探求しなければならないというという結論で締めくくられる。

 

以上が作品の概要であるが、魂の回想の本質とは何かを理解し、この作品でプラトンが何を伝えたかったのか考えたい。魂の回想の本質を考える上で、私は古代ギリシャ時代のアテネの統治形態から考える必要があるのではないかと考える。同時代のスパルタは厳格な軍事都市国家であったが、それに対してアテネでは芸術等で人々の心を満たすことで統治するという方法をとっていた。アテネでは芸術が花開き、人々が感官に訴えるものを常に追い求めていた。つまり、ここで述べられている知識とは、今日私たちが考えるものよりもより広義なものであり、「心が大きく揺さぶられるが、触れるまでそうとは知らないもの」という意味も含まれるのではないだろうか。iPhoneが売り出された当初はそのデザインや質感の斬新さに人々は熱狂した訳であるが、これなど良い例である。スティーブ・ジョブスは何がバーチューであるかを魂に問いかける天才であったのではないだろうか。

 

この作品は議論が行ったり来たりして複雑であるが、筆者個人はプラトンが主張するバーチューの探求プロセスを以下のようなものであると解釈した。①魂の回想を行うことで正しい知識を得る(場合によっては、何が心をときめかせるものかを知る)、②それに基づき正しい意見を導き出す努力をする、③意見というものは絶対的なものでないため、再度魂の回想を行い、意見を構築する、④これを繰り返す。

 

ところで我々日本人はどれだけ魂の回想を行えているだろうか?次回にそれについて考えたい。

セリーナ・ウィリアムズの性差別という主張は成立するのか?

引き続きテニスUS Openの話題です。

 

もう皆さんご存知かもしれませんが、大坂なおみの優勝試合がセリーナ・ウィリアムズの発言によって性差別問題に発展しました。どういうことかと言いますと、セリーナが3度目のペナルティーを取られ、これがゲーム・ペナルティーとなりました。これを受けて、セリーナは「男子の選手でこんな重い反則受けた人いる?私が女性だからだ!性差別だ!」とコート内外で主張しました。記者会見では、「私は女性の人権のために戦っている!」と強い口調で言っていました。今回はこの主張が成立するのか検証してみたいと思います。

 

セリーナの反則をおさらい

セリーナは計3回の反則を行いました。1回目はコーチから指示を受ける違反。2回目はラケットを地面に叩きつけて破壊する違反。3回目は審判を「嘘つき、盗っ人」などと侮辱する発言を行ったことによる違反。今回初めて知りましたが、反則1回目は警告、2回目はポイント・ペナルティー、3回目はゲーム・ペナルティー、4回目は失格(負け)というルールがあります。

テニスのゲームペナルティは何?セリーナが受けた理由は?(全米OP) | 興味がありあまる

つまり審判は基準に従って、3回目なのでゲーム・ペナルティーにしただけなのです。ということは問題は、3回それぞれの反則が妥当かどうかということが問題になります。

 

セリーナ支持派の主張

恐ろしいことですが、アメリカのメディアは大抵がセリーナ支持派に回っている印象です。アメリカ大手メディアは右派左派関係なく笑ってしまうほど同じ論法で今回の問題を解説しています。この動画はそのひとつです。

www.youtube.com

①コーチの指示を受けるのは誰でもやっている。なのに彼女だけがペナルティーをもらうのはおかしい。審判は気付いたのだったら、警告を与える前にもう少し柔らかく口頭で注意するべきだった。っていうかコーチがコーチできないテニスって何よ、笑。

②ラケットを壊したのは確かに違反だ、そして彼女の振る舞いも良くなかった。

③でも審判を侮辱する発言は男子だったら誰でもしている。彼女だけペナルティーをもらうのはおかしい。

④審判はセリーナが(黒人)女性だから反則を取ったとしか思えない。テニス界にも性差別が存在するのだ。

⑤そして忘れてはいけませんね、若き大坂なおみは素晴らしいプレーをしました。

 

だいたいこんな流れです。知り合いの女性とこの問題について話したのですが、試合は観ていないと前置きした上で、「新聞を見た限り、彼女が怒るには理由がある感じがした。」と言っていました。

 

 

カルロス・ラモス主審の判定に女性差別的なバイアスが存在するのか

ラケットの破壊はもう議論の余地はありません。問題なのは、1回目のコーチング、3回目の審判への侮辱が反則に値するか、です。

 

1回目 コーチングに対するペナルティー:実は最も多い反則

まず、1回目のペナルティー:コーチから指示を受けたことによる反則から。この判定に頭がきたセリーナは感情のコントロールを失います。故にこれが2回目、3回目の違反に繋がったと言っても過言ではありません。このコーチングによる反則を受けたセリーナは「自分はコーチングは受けていない!私には娘がいるんだ!ズルなんてしたことない!私に謝れ」と激しく主審に迫ります。しかし、何と試合後にコーチ自身が手で指示を送ってことを認めてしまったのです。そして、その言い訳が例の「みんなやっている」でした。以上から、判定は妥当であると言えます。

 

セリーナ側は「コーチングは誰でもやっている。私が女性だから反則を課された」と言っていますが、これはデータ見る限り正しくありません。US オープン以前に行われた3つのグランドスラム(フレンチ、ウィンブルドン、オーストラリア)であった反則の合計は女子で31あったようです。そのうち11個がコーチングに関連したものでした。コーチングが全反則の1/3を占める割合であり、最も多いのです。男性と女性を比較したデータではないですが、コーチングを見つけたら罰則を科すことが多いので、セリーナの件が特殊でもなんでもないことがわかります。

 

3回目 審判への侮辱:ラモス主審は男性にも同じように反則を与えていた

3回目の反則は動画見てもらえれば分かりますが、「謝れ、嘘つき」など罵声を浴びせかけつづけて、最後には「あんたは私からポイントを奪った、盗っ人め!」と言い放ちました。これは間違えなく審判に対する侮辱なので、判定自体は文句無しで妥当でしょう。

 

では、ラモス主審は男性選手だったら与えないペナルティーをセリーナに与えたのでしょうか?それを考えるためにはラモス主審が過去に与えたペナルティーをみる必要があります。

・2016年オリピック アンディー・マレーに主審を侮辱したとしてペナルティーを与えた。

・2017年フレインチオープン ラファエル・ナダルが時間を使い過ぎでいるとしてペナルティーを与えた。

・2018年ウインブルドン ノバク・ジョコビッチがラケットを地面に投げてペナルティーを与えた。

以上から、ラモス主審は大きな大会で男性のトッププレーヤーも同じように反則を課していたことがわかります。

 

テニス界全体で女性差別的な判定があるのか?

US オープン以前に行われた3つのグランドスラム(フレンチ、ウィンブルドン、オーストラリア)であった反則の合計は女子で31回に対して、男性は倍近い59回です。どうも、女性だからと言って反則をもらいやすいという主張は成り立たないと思われます。

 

もう少し書きたいことがありましたが、力尽きたのでまた次回。

以下、参考記事です。

 

www.youtube.com

 

www.usatoday.com

大坂なおみの涙と記者会見が語るチャンピオンに相応しい人間性

ブログのタイトルに反して子供のこと全然書いてない、、、近いうちに、、、

 

さて、大坂なおみさんが優勝しました。日本人で初優勝はすばらしいのですが、僕は彼女が日本人だから、ということ以上に彼女の人間性のすばらしさに心を打たれました。

 

なぜブーイングが起きたのか

ネットを騒がせていますが、表彰式で大ブーイングが起こって大坂選手が涙しています。ブーイングが起こって涙したところだけ切り取ると、アメリカのお客さんが日本人である大阪選手が勝利したことが気に入らず、ブーイングして、それが悲しくて泣いたようにみえます。ネットではけしからん!という声も多いようです。ただ、それは事実のほんの一部でしかなく、ここで起きたことは実際にはもっと複雑です。以下、表彰式の一部始終が記録された動画です。


[FULL] 2018 US Open trophy ceremony with Serena Williams and Naomi Osaka | ESPN

 

初めお客さん達はブーイングを起こしますが、セリーナが「彼女は(大坂選手)良いプレーをした、彼女の初めてのグランドスラムなのよ」というと会場から大歓声が起こります。このことから、ブーイングの対象が大阪選手でないことがわかります。お客さんは審判を含めた大会運営側に憤って、むしゃくしゃしていたのです。

 

グッド・ゲームが作れなくて泣けた

ネットで「これは喜びの涙なのでは?」という意見もありましたが、僕は悲しみの涙たと思います。セリーナも記者会見で「彼女は喜びの涙ではなく、悲しみの涙を流した」と語っていました。

では、大坂選手にとって何が一番悲しかったのか?それはお客さんに「見に来てよかった!」と思ってもらえる良いゲームが作れなかったこと、と僕は考えます。実際、試合はセリーナが怒り狂い、グッド・ゲームからは程遠いものでした。きっかけは、セリーナがコーチからアドバイスを受けたとして、反則が与えられポイントを失ったことでした。


2018 US Open Highlights: Serena Williams' dispute overshadows Naomi Osaka's final win | ESPN

セリーナは誤解であるとして、猛反発。彼女は感情がコントロールできず、ラケットを破壊。更に、審判に対して執拗に「謝れ!」「私の人間性に対して攻撃している」「私に話しかけるな!」挙句の果てに「私からポイントを奪った、あんたは泥棒だ!」とまくし立て、ゲーム・ペナルティーを受けて、ゲームを失ってしまします。

 

両選手は何が起きたかわからず、混乱して試合が中断。会場からはブーイングが起こる。その後、セリーナが抗議し続けて、たびたび試合が中断。セリーナは泣き出す。こんな混沌の中、大坂選手が勝利します。こんな展開はみたことがないと、解説者も戸惑うような内容でした。

 

こんな内容でお客さんは喜べないでしょう。むしろ、多くの人が「自分が応援するセリーナがフェアにプレーできる環境ではなかったのではないか」と憤っていたのだと思います。そして、あの表彰式に繋がります。大坂選手は大荒れの試合の中で、心が最大限まで張り詰めていたはずです。そんな中でブーイングを聞けば泣いてしまうのも無理はありません。

 

チャンピオンに相応しい人間性

表彰式で、彼女が非常に謙虚で、お客さんと対戦相手であるセリーナに軽くお辞儀をしながら感謝を述べているシーンにグッと来ました。彼女は父親がハイチ出身、母親が日本出身、アメリカで生まれ育つという複雑なバックグラウンドの持ち主ですが、お辞儀を含めた謙虚な佇まいからは日本人が美徳とするものを、僕は感じ取りました。最初はブーイングしていたお客さんたちも、きっと彼女が好きになったでしょう。

 

場所は記者会見に移ります。大坂選手はここでもセリーナを批判することは一切ありませんでした。


2018 US Open Press Conference: Naomi Osaka

彼女には試合中荒れ狂ったセリーナに関連した質問が複数ありました。それに対して、「歓声がうるさくて気づかなかった、自分は試合に集中するだけだった。」という回答を貫きます。でも、セリーナが怒ってる動画を見てもらえればわかるんですが、そんなはずはありません。確かに、ゲーム・ペナルティーのときは混乱しているようでしたが、会場が異様な空気に包まれていたので、わかるはずです。現に、会見の終盤には「いろいろあったけど謝罪が必要だと思いますか?」という質問には思わず感情的になって涙してしまっています。彼女はセリーナをリスペクトしており、セリーナに対して良くないことを掘り出せれる可能性がある質問には、明確な回答を避けたのだと思いました。

 

また、今日セリーナはあんな感じでしたけど、今でも変わらずあなたのアイドルですか?という質問に、「何も変わりません。」と答えています。対戦相手を思いやる気持ち、これぞ真のスポーツマンシップ、、、素敵です!

 

大坂選手のこれからの活躍を期待しています!

アメリカの過剰なスポーツ愛がもたらすポピュリズム政治

 

さて、今日はアメリカのスポーツと政治の話をしたいと思います。本当にアメリカ人はスポーツ観戦が大好きですね。特にアメリカンフットボールは特別なものがあります。アメフトの決勝戦(スーパーボール)は国中お祭り騒ぎで、国民がみんなテレビに釘付けです。上の階のお隣さんのエキサイティングぶりと言ったらもう、、、

 

なんとそのスーパーボール、去年は僕らが住むミネソタ州の最大都市ミネアポリスで行われました。決戦の場所はミネアポリスが誇る『US Bank Stadium』!その凄さを動画でご覧いただきましょう。


Official Minnesota Vikings U.S. Bank Stadium Construction Time-Lapse

 

デカイですね〜。国立競技場で問題になった屋根開閉式!海賊船をイメージした美しいシェイプ。

 

これは息子が生まれた日に病院から撮った写真。真ん中で青い光を放っているのがUS Bank Studiumです。

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いやー、日本ではサンフレッチェ広島が新サッカースタジアムを建てるか建てないかで広島市ともめてましたけど、それと比べるとエラい差です。

 

さて、ここからが問題提議です。日本の国立競技場でも問題になりましたが、いったい建設費はどこから出ているのでしょうか、、、実はかなりの額の税金が注ぎ込まれているんです。

 

このスタジアムの建設費はなんと推計$10億2700万。$1が110円換算だと1100億円超えです。そのうち$4億9800万ドル、5億円を超える額が市と州の税金によって賄われています。額がでかすぎてピンときませんが、、、、ツインズシティ首都圏の人口が300万(同じ300万でもだだっ広いので日本のそれと比べるとかなり田舎)と言われているのですが、人口一人当りの負担がかなり大きいと考えられます。

 

実はこのような現象、ミネソタに限ったことではありません。次にスーパーボールの会場となるジョージア州の新スタジアムを見てみましょう。


The Atlanta Falcons' Revolutionary New Stadium Is Unlike Any Other You've Seen

 

またしても屋根開閉式!しかもすごい開き方!これにも相当な税金が注ぎ込まれていることでしょう。

 

ある調査によると2000年から2010年の10年間にスタジアム建設に注ぎ込まれた税金は全米で$120億、1兆3200億円にも昇るといわれています(記事や調査によって額が異なります)。

 

これに対して、プロアメリカンフットボールリーグ(NFL)側はスタジアム建設によって起こる良い経済効果を主張します。まず、建設により雇用が生まれ、その後スポーツ観戦に来る人が増え、宿泊業などが潤い、街が活性化するというのです。しかし、専門家によると実はその効果は非常に限定的であるとのことです。そもそもフットボールの試合は1シーズン16試合しかないのです。本来であれば、道路、学校、博物館、公園の建設・運営に使われるべきなのです。

 

税金が使われることによって、最も得をする人は誰でしょうか?それはチームのオーナー達です。彼らはただスタジアムを建設しているのではなく、税金で本来必要のない豪華絢爛な特別席を作り、お金を稼いでいるのです。一試合300万円もするような部屋すらあるのです。さらにスーパーボールのホストになればガッポガッポです、、、

 

でも、なぜそんなバカみたいな高い額を税金から出すことが容認されてしまうのでしょうか。それは街がお金を払わなければ、チームは他の街に移籍すると脅しをかけるのです。そんなことホンマに起こるんかいな、と思いますが、過去に複数のチームが別の年に移っています。例えばSt Louis Cardinalsは今ではArizona Cardinalsです、、、

 

US Bank Stadiumを作る前も、ミネソタはVaikingsに「他の場所に移る」と脅しをかけられ、結局相当額の税金を投資することになりました。「勝手にどっか行っちまえ!!!」と言いたくなりますが、人々がフットボールLOVE過ぎるのです。ある調査によると、「自分の街から博物館が全部なくなってしまう」ことよりも「フットボールのチームがいなくなる」方が嫌だ、と答える人の割合が高いとのことです。もし、地元チームが街から出て行くことなったら、それを許した政治家は投票してもらえなくなるでしょう。そうなると、本当はもっと公共施設に投資した方が良いと分かっていても、政治家はスタジアムにお金を出すでしょうね。これは正しさにコミットできないポプュリズム以外の何物でもないでしょう。

 

僕が働く州立大学では州からの援助がなくなり、学費がうなぎのぼりです。スタジアムよりもこっちに投資した方がいいと思うんだけどな、、、

 

以下、参考記事です

 

www.twincities.com

 


Why do taxpayers pay billions for football stadiums?

 


Stadiums: Last Week Tonight with John Oliver (HBO)

アメリカの教育の機会不平等性がもたらす末路

もうかれこれ15年くらい前の話だと思いますが、ケーブルテレビでMTVを見ていました。そこで面白い番組があって、人気の黒人ラッパーがサプライズで高校に乗り込み、パフォーマンスをするというものでした。日本でも卒業式にアーティストがサプライズで登場!何て番組があるので、どこでも似たもんがあるんだなぁっと思っていたのですが、そこで「おやっ?」と思いました。生徒が全員黒人だったのです。アメリカは人種が多様なはずなのにどうして?と思いましたが、アメリカに来てなるほどっと思いました。

 

アメリカでは人種によってはっきりと住み分けができています。もちろん白人が裕福な地区に、黒人が貧しい地区に住んでいます。僕の住むミネソタ州セントポール市でも、「なんじゃこりゃ!!!」って思わず驚いてしまうデカイお屋敷が並ぶ通りの通りから、1,2 Km行くとかなり貧しい通りがあり、そこでもはっきり人種がはっきりと分かれます。割と狭い範囲でこれほどはっきり分かれているのは興味深いです。僕はバスで通勤しているのですが、黒人がよく降りるバス停とそうでないバス停がはっきり分かれています。そりゃ住んでる場所が違うんだから、使うバス停も別れるわな、、、と勝手に納得しています。

 

なぜこれほどまでに分断が進んでしまったのか、アメリカの学校運営のシステムがその要因の一つだと思います。ある日知り合いのインド人の夫婦が、裕福な地区に引っ越しました。引っ越しをした一番の理由は「子供を良い学校に入れたい!」という理由のようでした。信じられないことですが、アメリカでは地区単位で学校の運営が任されています。つまり、その地区の税収によって教育水準が大きく左右されることになります。たとえ同じ州であっても貧しい地区では貧相な学校設備・教育になり、逆に裕福な地区ではより良い設備・教育が提供されることになります。この動画が参考になります。

www.youtube.com

 

そのため、貧しい地区の人間は教育水準が低くなり、貧しさから抜け出せなくなります。逆に裕福な地区の人間には、子供のことを考えると裕福な地域に留まるというインセンティブが生じます。こうしてドンドン格差が広がっていきます。

 

これは問題であるのでアメリカでは大学入試でアファーマティブアクションが取られます。うちの大学でも白人以外のマイノリティの入学枠が確保されていると聞いたことがあります。しかし、そんなものでは当然格差を根本的に解決できるのもではありません。

 

これまで人種間のギャップについて話してきましたが、最近は白人も転落側に陥ってしまい、抜け出せなくなっている人が大勢いるのでしょう。アメリカという国の強さは、トクヴィルが昔言ったように、分厚い中間層であったはずですが、このように格差製造兵器と化した社会システムでは、誇るべき民主制はトランプのようなポプュリズムを得意とする人間を代表者に選び出し、逆に足かせになってしまうでしょう。